今回の世田谷区の放射線の件で反省した

先日、世田谷で放射線の量がかなり高いということでニュースになっていたけど、その件でおれは反省した。
ので、メモしておく。

この問題は、東京・世田谷区弦巻の住宅の床下にあった瓶から高い放射線量が検出され、瓶の中にラジウム226とみられる放射性物質が入っていることが分かったものです。文部科学省によりますと、この放射性物質は国への届け出はなく、住宅の所有者は「床下に瓶があること自体知らなかった」と話しているということです。
世田谷 瓶を撤去し安全を確認 NHKニュース http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111014/t10013268731000.html

まず、今回の世田谷の件は、福島の放射能漏れ汚染の件とは、全く関係ない事件だったことがあきらかになった。
しかし、この世田谷の放射能が異常な高濃度だと分かったのは、福島県放射能の影響が、世田谷内でどの程度あるのかの調査をしていたときに、見つかったものだ。

そこで、おれが、このニュースの第一報を、10月12日に聞いたときに思ったのは、
「ああ、やっぱり福島の放射能の影響が、世田谷にまで届いていたのか!」
「これじゃあ、おれの住んでる、都下も、同じくらいに影響があるんじゃないの?」
って、問答無用に思ってしまった。

つまり、このニュースのきっかけからいって、
(1)福島の放射能が漏れる
(2)その影響が世田谷で調査開始
(3)調査中に、世田谷区内で、高濃度の放射能が検知される
→ここで、(4)つまり、1と3は直結されて、福島の影響が世田谷でも出た
と結論づけて考えてしまい、「いや世田谷と福島との問題は別の可能性があるかも?」とは頭によぎらなかったのだ。

何か事件(じゃなくてもいいけど)が起きたときに、「その事柄はこういうことなんじゃないか?」と、一方的に最初から決めつけて、物事をとらえたら、危ないってことを思った。

あとになってからだが、今回の事件と似たような事件が、2009年や2008年にもあったことを知った。
健康関連の商品のために放射性物質を大量に保管していたものが漏れ出し、問題になったのだ。
もし、この件を知っていれば、今回の世田谷のニュースの第一報を聞いた10月12日にも「ひょっとしたら、福島とは別件かもしれないな」と思ったかもしれない。
これは、おれが無知なせいで、こう考えられなかった。

しかし、百歩譲って、無知というか、知らないことがあるのは、仕方がない。
世の中の全てを知っていることはできないからだ。
そうではなくて、今回おれが問題だと思った自分の行動は「証拠が出揃ってないのに決めつけたこと」だ。
もし、無知で、他の放射性物質の事件があったことを知らないとしても、今回の事件が起きたときに「いや、ひょっとしたら、福島とは全然関係ない放射性物質かもしれないぞ?」ということを、疑うことはできたはずた。
なにせ、直接的な証拠がナニも見つかっていなかったのだから…。

こうした、決め付けというか、犯人を想定して事件を組み立てるというやり方は「非科学的な視点」だと思う。
これでは、今後も、また「未知の事柄」が起きたときに、正しい判断を下せない可能性がある。
客観的な事実や、きちんとした証拠がそろってからはじめて物事をとらえようというのが大前提であり、もしまだ証拠が出揃っていない場合は、あらゆる可能性を考慮して吟味することが大事だ、と反省した。

また、話があっちこっち言ってしまうが、今回の世田谷のニュースがだんだんあきらかになっていく途中で、おれの頭に浮かんだのは「オウム真理教サリン事件」の事だった。

反省して次につなげよう。