コミュニケーションと相手の名前を覚えるということ

少しコミュニケーションについて、思ったことをメモします。

本日、テレビで、飲みにケーションを義務化した会社の話をしていました。
その会社では、部のなかで飲み会を開くことを「義務化」しており、その分の手当が役職には出るようです。
また、どういう飲み会をしたのか、報告書の提出が求められており、逆に、飲み会を開かないとペナルティとして、飲み会手当が支給されなくなるそうです。
それでも、飲み会は開かなくてはならない、という話でした。

飲み会を開くことのメリットとして、普段、あまりしゃべらない上司と部下とのコミュニケーションがはかれる。
また、飲みにケーションを開くことで、コミュニケーションが活発化し、その結果、仕事が早く終わり、帰宅時間が早まった。
という話もしていました。
また、あえて、飲み会ではプライベートの話を披露することが求められたりしていました。
その飲み会の席でのインタビューでは、子供とは普段忙しくて会えなくて、週末に子供と接する時の話をしていました。
さっきは「仕事が早く帰れるようになった」と言い、いまは「仕事が遅くて子供とは普段会えない」と言い、全く逆なことを主張しているけど、この番組では気づいてないのかな
?と思いました。

されとて、コミュニケーションは、仕事をする上では、大事です。
この会社はIT企業とのことでしたが、普段は、よっぽど、コミュンケーションが不足しているんでしょう。
普段から、とてもコミュニケーションが活発であれば、会社がむりやり飲みにケーションの場を提供しなくてもいいのでしょうが…。
それでも、全くコミュニケーションをはかることができない会社よりは、マシかなぁ、と思いました。

一方で、コミュニケーションの基本って何かしら?と思いました。
おれが再読しているマンガ『医龍 (15)』のなかに、こんなシーンがありました。


これは、大学病院のさえない医者である、木原先生が、実は他のスタッフみんなの名前を覚えていることを、独白するシーンです。
この人は、職場のみんなを「友人とはいえなくても、せめて仲間だと思いたかった。」という想いから、フルネームで名前を覚えていたのです。
この木原先生は、15巻に至るまで、とてもとても「嫌なヤツ」の役割で、共感なんかできないキャラクターだったのですが…。
このシーンにはグッと来ました。

もしかしたら、ここにコミュニケーションのヒントがあるんじゃないかな?と思ったのです。
普段、職場の同僚を、フルネームで呼ぶことはありません。
同期ならまだしもですが、それが後輩だったり先輩や上司では、フルネームで名前を全員言えるというのは、なかなか無いのではないでしょうか。
それでも、コミュニケーションというのは「相手に対して興味を持つ」ことがなければ、成り立ちません。
その第一歩は、もしかしたら、相手の名前をフルネームで覚える、というのは大事な事かもしれません。

それとも、相手の名前をフルネームで覚えていることは、この木原先生の独白のように「気持ち悪い」ことなのでしょうか…?

たとえ、先の例のように、飲みにケーションを活発におこなっていたとしても、相手の名前をフルネームで覚えていないようでは、本末転倒なのかもしれません。